少し気になることがありました。広島県民の森の比婆御陵について
文句をつけるつもりは全くありません(笑)・・・
しかし、この広島県民の森を一周し、また吾妻山まで足を伸ばして
思ったことは、古事記の中の表現をよく考えると、伝説は
別としてこの比婆山御陵は広島県内にあり、出雲国と伯耆国の
堺にあるはずが、出雲国と伯耆国に接して安芸国にある、とは
古事記には書いていないのです。
たまたま、古事記を読んでいたことで、その不思議を思って
いたのですが、それはそれとして私なりに少し考えてみたかったのです。
もちろん学問的な知識ではなく、私の読後感からの疑問でした。
下の地図を見てください。広島県民の森にある比婆御陵です。
クリックすると拡大できます。
そして南側が安芸国です。比婆御陵から伯耆国県境まで直線で約7.3km離れています。
出雲神話の話がなぜ安芸の国にかかわってくるのかが不思議な気がしていました。
ここ広島県民の森の比婆御陵には大きな岩の露出が目立ちます。
小さな祠の後ろにイザナミノミコトが葬られているという伝説地です。
この御陵は、この広島県民の森の遊びに来られる登山者にとって一度は目にする
人気な場所なんです^^
さて、次にご紹介する比婆山は、出雲と伯耆の堺にある比婆山です。
南北に渡る赤い線が境界で、左が出雲国、右が伯耆国になります。
そして、比婆山と県境までの距離が約4.7kmです。
登山口の入り口にある久米神社です。
低山ですが急坂を登ります。
一枚岩の坂を登ります。
展望所からの眺め。
天然記念物の紹介。
比婆山の顕彰。
比婆山久米神社 奥宮。
イザナギノミコトの御神陵。塀に囲まれて盛土が見えています。
ちなみに比婆山についてのウィキペディアです。検索して見てください。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%94%E5%A9%86%E5%B1%B1
さて、さて葬られたイザナミを忘れることができないイザナギはイザナミのいる
黄泉の国へとむかった。イザナギと会ったイザナミは黄泉神(ヨモツカミ)と
相談するので、決して覗き見をしないでほしいとイザナギにお願いしたのだが
イザナギはその約束を破って妻を覗き見してしまったのである。
覗き見されたイザナミは沢山の蛆にたかれて、無残な姿になっていた。
覗き見されたイザナミは恥をかかされた怒りに、イザナギは慌てて黄泉の国から
逃げ去ろうとした。黄泉(ヨモツ)しこめや黄泉軍(ヨモツグン)に追われて
辛うじて黄泉の世界から逃れたのである。
この黄泉比良坂は(ヨモツヒラサカ)は、イザナギが黄泉の国から逃げ出した
出口があったところです。黄泉比良坂についてのウィキペディアです。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E6%B3%89%E6%AF%94%E8%89%AF%E5%9D%82
この岩はその出口の穴をイザナギが塞いだ岩だと言われています。
ここは伯太の比婆山から北西に約14.5km離れた場所にあり、近くに揖屋神社が
あります。https://nihonshinwa.com/archives/7457
長々と両比婆山を私なりに比較してみましたが古事記の表記をもとに私感を
言わせてもらえば、イザナミが葬られたところが島根県伯太にある比婆山、
そして黄泉の国からイザナミに追われ逃げ出したのが揖屋にある黄泉比良坂、
このストーリーを古代の人が考えるのにふさわしい地理的条件があったのが
この場所ではなかったかと思うのでした。
まだ、ほかにも比婆山に比定するところはありますが、結論がでるには時間が
かかりそうですね。今回は私の私感でお話しましたのでお許しくださいね♪
ようやく梅雨らしい雨になりましたが、あまり振りすぎるのも困りものですね~
こちらも今週末まで晴天はのぞめそうにありません。(-_-;)
比婆山は、以前にヒバゴンなどの話題が持ち上がり記憶に残っていますが、神話に関する伝承もあるのですね。
山歩きもそのような関心を持ちながらされると、興味は尽きないことと思います。
今回の記事も遠い神話の時代に思いを馳せながら拝見いたしました。
Uncle Ed
がしました