今回は以前から行って見たかった安来市伯太町にある比婆山。
そう我々が良く出かける広島県民の森にある比婆山と同名の山です。
しかし、標高はわずか320mの里山。往復一時間半もあれば楽しめるコースです。
山頂には久米神社という奥宮が有ります。そして久米神社の下の宮付近から
登山道が山頂へと延びています。
今朝は小雨が降り続き、山登りは無理かなと思いつつも駐車場に着くまでは
不安でしたが、なんと天気も回復してきたので実行したのです。まあ傘一本
持っていけば済むような低山ですけどね(笑)
多少小雨も降ってますが、こんな雰囲気の登山でした^^/
展望台から見える伯太比婆山の山頂です。
広場を過ぎた突き当りに奥の宮がありました。正式には比婆山久米神社奥の宮
延喜式神名帳には出雲国意宇郡「久米神社」とあるようです。約1000年以上の
歴史があると言われてます。出雲国風土記にも「久米社」とあるとのこと。
ここで伯太町のホームページから少し抜粋をして説明させて頂きます^^/
比婆山という名は、古い書物「古事記」一巻目の神話編で、日本の国を創った母神、
伊邪那美命が葬られた場所として記されている由緒ある山とあります。
そして、古事記は伊邪那美命が最後に火の神を生んだために焼かれて
亡くなったと記してます。亡くなったあとの伊邪那美命をどうしたのか・・・
古事記には「その神避りし(カムサリシ)伊邪那美の神は、出雲の国と伯岐の国との
堺の比婆の山に葬りき(ハフリキ)」とあります。
つまり伊邪那美命は比婆の山に葬られたのですが、広島県民の森の御陵も
比婆山、そしてこの山も比婆山で、まだほかにも伊邪那美命が葬られている
と言われる場所が何ケ所かあるようですね。
何か神々しさを感じながらご神陵を後にしました。
登る途中にもこの場所が気になっていましたので覗いたところ、「玉抱石」
(たまがかえいし)なるものがたくさんありました。石に触れると霊気が授かり
伊邪那岐大神に祈願すると子供に恵まれて安産であると言い伝えられているよう
です。石に空いた穴はそこから飛び出してお腹に入り玉のような元気な赤子に
なって生まれてくるという伝承があるようです。
伊邪那岐命、伊邪那美命は創成の神様故に安産の神様にもなっているのでしょうね。
ところで、あくまでの個人の所感ですが、いままでこの比婆山が気になっていたのは
古事記に中で「伊邪那美命を出雲の国と伯岐の国との堺に葬る」という一文、
確かに広島の比婆御陵は稜線上では出雲国と接しているのですが、伯岐の国とは
近いようで接していない、むしろ安芸の国と芸備の国とに接しているのかなとも
思ったりしているのです。
伊邪那岐と伊邪那美との熾烈な戦いをした現生と黄泉の世界を結ぶ
黄泉比良坂は松江市の東出雲町の揖屋神社近くにあり、黄泉の世界から
現生の世界いの通ずる道は安芸から松江まででは遠くないかと、今風に
考えてしまいます(笑)
あくまで個人の考えですので、学術的なものはないですが伯太の比婆山は
完璧に出雲と伯岐とに接しているし、伯太から東出雲は目と鼻の先という
地理的条件にぴったりとするのです。とするとやはり古事記の比婆山は
伯太の比婆山ではないかと、地元愛からもそんな気がしてきました^^/
下山後は天気も回復、標高300mほど山でしたが以外に汗もかく
適度な運動ができる山であったことにまたチャレンジしょうと思いました。
ただ、夏場は少々暑そうなので今度は秋にでも予定しようかと思っています。