今回は山歩きとは別なお話をしましょう。
 
ここ出雲地方は近年、「古事記」・「日本書紀」の中で神話の舞台になったり、また「出雲風土記」のように
 
古来からの文化・伝統・歴史を伝える書物が残っていることで、出雲地方独特の文化圏があったのでは
 
ないかと脚光を浴びるようにもなってきた場所です。
 
 
そして、そのような資料を集め展示しているのが、古代出雲歴史博物館なのです。
 
今回はその中のほんの一部をご紹介します。
 
 
 
   ここは、出雲大社のすぐそばに新しくできた古代出雲歴史博物館です。
 
   新しいとは言ってもすでに10年近くはなっていると思います。 如何せん初めてなので
 
   正確には分かってませんので(笑)
 
da97d876.jpg

 
 
 
 
 
    中に入るとめだつのこれです。 「宇豆柱」
 
    鎌倉時代の頃(今から765年前)に作られた柱のようです。
 
    この柱は48mの高さのある本殿を支えた柱で、約直径130cmの柱を3本に束ねています。
 
9373bce5.jpg

 
 
 
    3本の柱を束ねてできた「宇豆柱」の直径は約3m。
 
    柱と柱の間には、添え木を入れて円にし、鉄のワッパで締めていたようです。
 
743fe66d.jpg

 
 
 
    そして、後ろにあるのが本殿の模型ですが、その前に掘り返された跡地の3ヶ所に
 
    柱の跡が見えるのがわかりますか。 実際の場所は今、とりあえず埋められています。
 
8de8d5f3.jpg

 
 
 
    平安時代にあったとされる出雲大社の本殿は、高さ48m(10階建以上のビル)の
 
    高さだったと予想されてます。
 
aa84f48f.jpg

 
 
 
    こちらが10分の1の模型。 資料をもとに正確に作られています。
 
    ちなみに神官の身長は、現代人並みの170cmで縮小されているそうです。
 
0edabece.jpg

 
 
 
    引いて撮るとこの大きさです。 この10倍が実際の大きさだった想像できます。
 
    この橋の長さが100m以上だそうです。
 
    現在の本殿の高さが8丈(24m)、平安時代が16丈(48m)。 
 
    ところがそれ以前は32丈(96m)というとてつもない大きさであったという資料もあるようです。
 
    真偽はともかくとして、出雲独自の古代文化があったかもしれないといわれてます。
 
b0e625eb.jpg

 
 
 
    現在の本殿屋根に取り付けられていたものです。 名前を確認するのを忘れましたが
 
    どのようなものかお分かりになると思います。 見学者とを比較すると大きさがわかると思います。
 
f34ac4b7.jpg

 
 
 
 
    そして、もう一つの目玉。 荒神谷遺跡という名前をお聞きになったことがありますか。
 
    ここでは、昭和59年に358本の銅剣と、その近くから銅鐸も同時に発見されたことで
 
    全国的に知られるようになりました。 そのときの本物がここに展示されています。
 
    銅剣も銅鐸も一度に多量に出土したことで全国にも例をみないセンセーショナルな
 
    発見でした。 上段の金色に輝いている銅剣は現在の職人による作品ですが、
 
    下段の木台に固定されている銅剣は、弥生・古墳時代の重みを感じさせるものです。
 
    
05083f2f.jpg

 
 
    発見された枚数の銅剣がすべて展示されています。
    
064947d2.jpg

 
 
    武器なのか、祭事に使われたのか謎の多い銅剣です。
 
d2fc3f35.jpg

 
 
    権威の象徴?
 
cff17f09.jpg

 
 
 
    同時期に発見された銅鐸。 祭事に使用されたと思われる銅鐸ですがまだまだ謎が多いようです。
 
0d993d0b.jpg

 
 
 
    弥生・古墳時代の文化を目の当たりに見ていると、また今の社会においての何らかの形で
 
    我々に受け継がれているものがないかと思慮することも楽しいですね。
 
29030629.jpg

 
 
    今回のは展示物のほんの一部ですが、まだまだたくさんの資料がありました。
 
    興味がある人には、時間が過ぎるのも忘れるかもしれません。
 
    今回は、山歩きではなくそんな出雲大社への散歩でした。