最近、年齢を重ねるごとに考えさせられることがあります。
 
若いときの話をすること自体、歳とってきた証拠といわれることを
 
否定はしません(笑)
 
でも、世の中が変わってきてしまったなぁ~と不思議に思っても悪いことではないので
 
一言いわせてもらいます。 ただし、構えて話すようなことでもないのでみなさんも
 
お気軽に聞いてください。
 
 
 
近頃、食べ物に季節感が無くなってきたことに、すこし不満を抱くようになってきました。
 
飽食の時代といわれて、どのくらいの年月がたつでしょうか。
 
毎回、同じような食べ物や飲み物の話のTV番組も飽きてきたはずなのに、変わりもせず
 
くり返されていることに慣らされた我々は、TVから流れてくる「美味しい」という口上に
 
どう反応していいか分からなくなってきているのではないかと思えるのです。
 
確かに美味しいのでしょう。高い食材を豊富に使用しているのであれば、まずいはずがないですね。
 
だから、おいしいのは分かります。われわれが食せるかどうかは別として・・・(笑)
 
 
 
しかし、見る側に「おいしい」と思わせる食材だけだをアッピールして、「まずい」食材が
 
なくなってしまえば、視聴者は「美味しさ」の価値が分からなくなってしまうのではないかと。 
 
価値が分からなくなることは、絶対にないと思うのですが、「まずい」食材があればこそ、
 
「おいしい」食材の価値があるわけですね。
 
しかし、TVの場合は「まずい」食材も「美味しく」加工する技術も伝達するので
 
「まずい」食べ物がますます少なくなってしまうかも知れないのです。
 
 
昔・・・歳とっている証拠ですので昔の話をします。
 
りんごは冬、みかんは冬から春、すいかやトマトは夏、ぶどうや梨は秋
 
かつおは初夏、あじは夏、にしんやサケは秋、さんまも秋、冬は蟹など
 
その季節以外では食べることができなかったですね。
 
そうすると本当に美味しいものはどういうものか、いつ食べるのもが美味しいのかと考えたとき
 
昔の人は「旬もの」が最高の贅沢と考えたわけです。
 
わたしもこの考えに賛成です。
 
 
 
しかし昨今、旬というものが分からなくなってきていませんか。
 
季節はずれに、あたり前のように季節外の食べ物があって、旬を考える必要がなくなっています。
 
わたしは今、生産者側を度外視して話してますのでご容赦ください。 ただ、食の「美味しさ」を思うとき
 
安直に「美味しさ」だけが際立つ社会は少し変かなと思っていることを述べているだけです。
 
 
野菜にしても、魚にしても「旬」のものであって、いつでも食べられるものではない。
 
だからこそ、それらは本当の素材の「美味しさ」であって、TVで「美味しい、美味しい」を連発せずとも、
 
加工技術の「美味しさ」は人それぞれの持ち味に任せればいいのではないかと思うのです。
 
 
 
 
さて、本題です
 
長~い 前置きでしたが、そんなことも考え「旬もの」を探しに、近所の里山へ
 
今が「旬」とは・・・・・ここです。
 
f4837874.jpg

 
 
 
 
そうです~ これで~す タケノコ
 
643c5925.jpg

 
 
 
 
型はまだ小さいですが「旬もの」
 
27479b29.jpg

 
 
 
 
 
周りにはイカリソウも咲いていました。
 
これはムラサキ。
 
be50d804.jpg

 
 
 
 
 
こちらは 白のイカリソウ
 
a72e607c.jpg

 
 
 
 
 
掘るのに結構苦労します。 小型のシャベルは少し曲がってしまいました(笑)
 
16b6caed.jpg

 
 
 
 
 
まだ、わずかしか頭が出ていません。
 
これを掘ります。
 
cc36db57.jpg

 
 
 
 
こんな大きさなものでした。
 
ce77c8a1.jpg

 
 
 
 
チゴユリも咲いてました。
 
326fa01a.jpg

 
 
 
 
 
結構とれましたので、娘と親戚に分けました。
 
そして、庭にある山椒の葉を落として、「旬もの」を頂く。
 
自然からの恵みを「頂く」、それこそが「旬」の美味しさと思うのですが・・・・ 合掌
 
3193f4d9.jpg